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色々と気がかりなことも多い中での第二回湧書会展開催には、大変なこともありましたが、これを決行して本当に良かったと思います。

今回も2点ほど、先生のお作品を飾りましたが、ガラス張りの会場の外を通りかかった際に、小さな紙に書いたその恩師のお名前を見て来場してくださった方がお二人おられました。お二人とも先生の旧いお知り合いのようで、本当に驚きましたし、先生がこの方々を呼ばれたのかな? とさえ思いました。

外から室内がよく見える会場を選んだのも、先生のお作品を入り口近くに飾ったのも、私は自分が決めたことだと思っていましたが、実際には、どこか遠いところにおられる先生と奥さまが、私がそうするようにしむけられていたのかも知れません。

私の恩師は、お若い頃にはずいぶんと厳しい先生だったと聞きますが、私がお教室に通いだしたときには、その風貌からして優しそうなおじいさんそのもので、たまたま私がお孫さんたちと同年輩だったからか、孫娘さんたちと同じように可愛がってくださいました。

初めて先生のお教室に行ったとき、自分が小学1年生だったのか、2年生だったのか、実は私自身も親でさえもよく覚えていないずいぶんと昔のことでしたが、この頃のことは、2011年7月に開いた第一回湧書会展ご挨拶の前半に書きました。

そのお教室で一緒にお稽古していた人たちの中には、学校や仕事や結婚や出産などの人生の大きな節目の都合で、続けたくても続けられなくて止めていった人たちも多かったのですが、私は大事の起こらない極めて平板な人生を送ったために、何となく長年続けられました。

そして、長く続けた他の人たちと同じように、私も先生と奥さまから形見のお品として端渓硯を頂戴しましたが、それがいつのことだったのか、まるで覚えていません。お二人ともまだまだお元気で、私はお二人の健康状態など全く心配していなかった頃だったと思いますが。

それで、今考えていますことは、既に丸くなられて孫娘に接するように優しく教えてくださった先生との、この世での出逢いのタイミング(厳しい先生だったら続けていなかった気がする・・・)も、取り立てて止めなければならない事態が起こらなかったために稽古を長く続けられたのも、実は単なる偶然ではなかったのかも知れない、ということです。

そしてそれだからこそ、私には、先生の目指しておられた「生活の中の書の愉しみ」を出来るだけ多くの人たちに味わってもらうために、これからも頑張っていかなければならないのだと今あらためて思うのです。

会場 会場22作品

 

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